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羽 後 地 韻 抄    武藤 鉦二
著者略歴
昭和10年 秋田県、鳥海山麓生まれ
昭和21年  田沢湖移住
昭和30年  西東三鬼に師事「断崖」入会
昭和32年  「断崖」同人
昭和37年  金子兜太に師事「海程」入会
昭和39年  「海程」同人
昭和42年  角館、・刈和野を経て、能代へ移住
現在      「海程」同人「合歓」同人「しらかみ」代表

発行所    ふらんす堂 2450円+税
金子兜太序文より〈抜粋〉

武藤鉦二の名を私が初めてきいたのは、西東三鬼からだった。三鬼晩年の
句集『変身』の昭和三十三〈1958〉年に、「男鹿半島と八郎潟」と題した一
連があるが、そのときの出会いだったようだ。三鬼は東北に旅した話をし、秋
田で「武藤鉦二という好い青年」にあってきた、と妙に感〈かん〉を込めた口調
で呟いたのである。誰も武藤鉦二を識る人はいなかったから話はそのままに
過ぎてしまったのだが、私には三鬼の感〈かん〉を込めた物言いととも鉦二の
名が残ってしまった。・・・・・・・


   白魚啜る音して干潟のろうそく

   白魚啜って親父の貧乏ゆすりかな



 前の句は村井由武への追悼句である。白魚を啜って父を想うあたりには、あ
るいは三鬼への回想が込められていたのかもしれない。

   餓えは遠い記憶抱けば藁あたたか

   盆の山坂蛇横切れば湯気立ちて

   愛撫して百叩きして畦塗れり

   花ひとすじ白神山地越えゆけり

   出羽三日月どれも破れて桃袋


          悼 野呂田 稔
   詩人も流人も草木するなかにおり

   花かたかご授乳のしぐさして母よ

   逃散記すかんぽ折ればぽかんと空

 鉦二の初期から中期にかけての作品から抄出したわけだが、いま述べた岩と土
の重層する暗部の粘り強さとともに、善意でユーモアに富む明るい資質が十分に
諧謔を賞味させてくれることが貴重と思う。

双方の特徴が融け合って溢れ出す感性の厚さ、たとえば、愛妻を対象にとらえて
の作品にも、その特徴は如実。


     晩い娶りへ車中へ転がる牛乳瓶

     嫁菜きざんで山鳩を喚〈よ〉ぶ朝の妻

     妻の背泳ぎ日本海照るぞ弾けるぞ

     桃林にて入浴のかたちせり吾妹


 この特徴は、五七調最短定型ともよく馴染んで、形象と韻律を粘り強くつくり出す
とともに、いつもどこかに諧謔の味を染み込ませている。粘っこい句姿が、いつも軽
快な物言いを湛えている、といってもよい。

ここ数年の鉦二の俳句は、その融合の調べに円熟味が加わって、本格の域に達し
つつあるようにおもえる。諧謔含みの乾いた具象感が「奥羽山脈のどてっ腹に過ご
したわが半生」〈鉦二自身の詞〉を韻〈ひび〉かせている、といいかえることもできよう。
いくつかを挙げて、この文を終わりたい。


    半島の二の腕のあたり昼寝せり

    男鹿半島に足かけて鱈捌きけり

    男鹿島や石に泥塗って雨乞い

    石あれば墓なり津軽谷空木〈がざ〉の花

    稲藁焼三日三晩は村にいる

    鷹ノ巣という盆地なりだまこ餅

    秋の蜂野の石に耳あるごとし